2017年6月26日はニュージーランド国民にとって記憶に残る日となりました。 英領バミューダ諸島で開催された世界最高峰のヨットレース、第35回アメリカズカップ。 挑戦艇のEmirates Team New Zealand(ETNZ)が防衛艇のOracle Team USAを大差で下し、アメリカズカップの奪還を果たしました。 日本からもSoftbank Team Japanが参加し、昨年11月に福岡市でアメリカズカップ・ルイヴィトン・ワールドシリーズ第9戦が開催されたことで「いっとき」話題になりましたね。
2003年の31回大会でAuld Mug(アメリカズカップの通称)を失った時、防衛艇のTeam New Zealand(TNZ)にはトラブルが続出しました。 第1戦:海水が艇内に大量に入る→バケツで海水を掻き出しながらのレース 第4戦:マストがポッキリ折れる(動画参照)→リタイヤ 第5戦:スピンポールの故障→スペアと取り替えたがリカバーできず 結局、挑戦艇のAlinghi(スイス)に5-0のストレート負けを喫し、カップはニュージーランドを離れてしまいます。 当時、NZ国民のアメリカズカップに対する熱狂と大きな落胆を現地にいて肌で感じたことで、全く関心がなかったヨットレースに私も興味を持つようになりました。
◇カップ奪還の最大のチャンスを逃す
その後、TNZはEmirates Team New Zealandとなってカップ奪還に挑戦し続け10年。 2013年の前回大会でDean Barker率いるETNZは、防衛艇のOracle Team USAに対し8勝1敗と、あと一歩の所まで追い詰めましたが、そこから「8連敗」し、まさかの逆転負け。 Alinghiにカップを奪われた時に頻発したトラブル、そして8連敗。この時ばかりは「バンビーノの呪い※」ならぬ「ラッセル・クーツの呪い」を感じました。 ※バンビーノことベーブ・ルースがレッドソックスからライバルのヤンキースに放出された後、レッドソックスが86年もの間、ワールドチャンピオンから遠ざかったことでできた皮肉。
◇越えられないラッセル・クーツの壁
1995年、ニュージーランドに初めてアメリカズカップをもたらした時、スキッパーとしてチームを率いたのがラッセル・クーツです。 そして次回大会の2000年、防衛する立場となったTNZはクーツを擁し、Prada Challenge(イタリア)を圧倒。アメリカズカップを無敗で防衛します。 しかし、この防衛後、クーツはブラッド・バタワースらTNZの主要メンバーらとともにAlinghiへ移籍してしまいます。 2003年のアメリカズカップの結果は前述の通りで、Oracle Team USAのCEOとなってからもクーツはETNZの前に立ちはだかりました。
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